あの人を偲んで その14  父は、白い骨になりました。

   
あれから 3年 経った


3年前 以前のブログに 書いた文章
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父は、熱くて 白い骨になりました。

まだ、余熱の残った 白い骨が出てきました。

とても綺麗な 白い白い骨 でした。

今朝は、すごく寒いけれど、快晴の日でした

朝5時前に起きて、燃えないゴミを出しに行きました。
とても寒かったです。身にしみる寒さでした。

洗濯もしました。凍える寒さでした。

洗濯物を干した後、母に食事を食べさせました。

トイレに行かせて、着替えをさせて、お化粧をさせました。

9時少し前に、家を出て、葬儀場へ向かいました。

とても寒い日でしたが、空はまぶしいぐらいに、きれいに晴れ上がっていました。

ナメクジ男の私にとっては、最も苦手な、寒くて快晴の日でした。

それでも、がんばりました。

出棺の前に、遺体のまわりに花を添えました。

震える母の手を取って、何本も花を添えました。

火葬場へ向かいました。

火葬炉のある部屋に案内されました。

父は、ひとりで、炉の扉の中へ入っていきました。

だいたい90分ぐらいかかりますので、ロビーでお待ち下さい。
と 告げられ、炉の扉の鍵を受け取りました。7番の鍵でした。

係りの女性が、待合いのロビーまで案内してくれました。

陽の差す、窓際の暖かい、ロビーで待っていました。

待っている途中、曇って少し、雨がパラパラと降りました。

お別れの涙雨 だったんでしょうか。

すぐに、また、晴れて、暖かい日差しが戻ってきました。

係りの女性が、ご準備ができました といって、迎えにきてくれました。

炉の扉の前に案内されました。

係りの人に、扉の鍵を渡しました。

扉が開くと、まだ、余熱の残った白い骨が出てきました。

とても 綺麗な 白い白い骨 でした。

頭蓋骨も、大腿骨も、喉仏も、小指の骨まで、きれいに残っていました。

頭蓋骨の顔を、こちらに向けてくれました。

担当の人が、骨の部位を説明しながら、銀色のおぼんの上に乗せてくれました。

そして、お骨を拾う部屋に案内してくれました。

ふたり 組になって、お骨を拾ってもらいます と告げられました。

その竹の箸を、母に持たせました。

もう一本の箸は、妹に頼みました。

私は、母に手を添えて、お骨を拾いました。  24年1月31日午前11時55分


追伸  2月1日

この文章につけるBGMを探していて、すてきな歌を見つけました。

以下 省略




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以上 3年前 以前のブログに書いた文章を 一部加除修正して 転載








追記 27年1月31日


この文章の BGMの この曲の原曲は 好き では なかった

なぜかは 内緒 の 内緒


しかし この人が カバーした この歌には 心が熱くなった

原曲とは まったく 違う解釈で 歌われた この人の この歌

この歌を こういう解釈で こういう表現で 歌えるのか と 思った

すごい と 思った  心が熱く なった

当時 何度も 何度も 何度も この人の この歌を 聴いていた


あのとき以来
この人も 私が密かに 応援している 私の 大切な人




私は 父の お通夜も 葬儀 告別式 も 行わなかった

火葬だけ 行った

立ち会ったのは 7人だけ

私と 母と 私の妹と その家族(ご主人と子供3人) の 7人

父母の親族にも 連絡をしなかった 今 現在もしていない




遺書を残さなかった あの人も 
生前 したためた 遺言書は あったと あの人の 娘さんは 語っていた。



『遺書はなかったと報道されていますが、
『今年の始めにしたためられた遺言書はありました。
『他の解釈の余地の無い、母らしい、非常に率直な遺言書です。
『その遺言書の内容に基づき、出来る限り母の意向に沿うべく精一杯の弔いをしています。
『母は、身内や知人の葬儀には出席せず、自分の時間、自分のやり方でお祈りを捧げる、
『というポリシーの持ち主でした。
『葬儀や告別式といったイベントを好むような人ではなかったことを、
『母をよく知る者、母のためを思う方なら、ご理解してくださることと思います。

『私も***のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます。



と 娘さんは 語っていた

あの人は お母さんのことを 実に 多くの形容詞を 付けて語っていた




『8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。

『様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

『彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
『その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、
『家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、
『ずっと悩んでいました。

『幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。
『症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、
『現実と妄想の区別が曖昧になり、
『彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。
『私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

『母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、
『彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

『誤解されることの多い彼女でしたが... 
『とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、
『頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、
『おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。
『悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

『母の娘であることを誇りに思います。
『彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

『沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。
『ありがとうございました。

『25年8月26日

『*****ル




その的確な 表現に 私は こらえきれず 涙した



私は 自分の父の 旅立ちには 涙が出なかったのに

あの人の 「おおきなふるどけい」 を 聴いたとき

『と』

この娘さんの  母を思う 想う この文章を 読んだとき に だけ は 涙が出た 


 

私は その時 思った

これからも この人たちと 会話をしていこう と

この人たちの 歌を聴き続けよう と

この人たち に 感謝 する 文章 を
この人たち を 応援 する 文章 を

書き続けようと 思った
書き続けようと 今も 思っている
これからも 書き続けようと 思っている



ともすると 
限りなく 薄暗い介護の底なし沼 に
引きずり込まれそうになる 私に

いつも どこからともなく 現れて 私に 寄り添ってくれた あの人たち







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あの人たちに 感謝







































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